「アダモちゃん」島崎俊郎さん死去

オレたちひょうきん族 「アダモちゃん」島崎俊郎さん死去にニュース

お笑いトリオ「ヒップアップ」で、1980年代にはフジテレビの人気バラエティ番組『オレたちひょうきん族』などに出演。「アダモちゃん」のキャラクターで人気を博してきた。

Oretachihyōkinzoku no `adamo-chan' Shimazaki Toshi
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Oretachihyōkinzoku no `adamo-chan’ Shimazaki Toshi

現在死因は不明・病気の報道も

『オレたちひょうきん族』

(オレたちひょうきんぞく)は、フジテレビ系列で1981年5月16日から1989年10月14日まで毎週土曜日20:00 – 20:54に放送されていた日本のお笑いバラエティ番組。通称「ひょうきん族」「ひょうきん」。

島崎俊郎扮するキャラクターである。黒いスーツにサングラス、そして、口元には常にタバコをくわえている。

アダモは、番組の初期から登場したキャラクターで、主にコントの中で活躍した。その特徴的な容姿と、独特のしゃべり方で、多くの視聴者を笑わせた。

特に有名なネタは、棺桶の中に閉じ込められたアダモが、棺桶の蓋を開けて「バカぁ!」と叫ぶというものである。このネタは、番組の定番ネタとなり、今でも多くの人に親しまれている。

アダモは、オレたちひょうきん族を代表するキャラクターのひとつであり、番組の人気向上に大きく貢献した。

当時の視聴率は20%前後を記録し、1982年には最高視聴率39.9%を記録するなど、日本を代表するお笑い番組となった。

番組の特徴

『オレたちひょうきん族』の特徴は、以下の3つが挙げられる。

コント番組でありながら、歌や踊り、トークなど、多彩な企画を取り入れていた
当時の若者文化を反映した、斬新で挑戦的な内容が多かった
ビートたけし、タモリ、明石家さんまなど、後の日本芸能界を代表するタレントたちが出演していた
番組の歴史

『オレたちひょうきん族』は、1981年5月にスタートした。当時、フジテレビでは視聴率ノルマが廃止され、制作者が作りたいものを作る路線に転じていた。その流れの中で、当時の若者文化を反映した、斬新で挑戦的な内容のコント番組として誕生した。

番組の初回放送は、ビートたけし、タモリ、明石家さんま、高木ブー、志村けん、ラサール石井、関根勤、小松政夫、大平シロー、島田紳助、松本竜介、そして、番組の立ち上げから中心となっていた横澤彪プロデューサーが出演した。

番組は、コント番組でありながら、歌や踊り、トークなど、多彩な企画を取り入れた。また、当時の若者文化を反映した、斬新で挑戦的な内容が多かった。

特に、ビートたけしの「タケちゃんマン」シリーズは、日本中の子供たちを熱狂させた。また、タモリの「タモリの歌」シリーズや、明石家さんまの「さんまのまんま」など、人気コーナーも数多く誕生した。

『オレたちひょうきん族』は、当時の日本芸能界を代表するタレントたちが出演していた。ビートたけし、タモリ、明石家さんまは、番組をきっかけにスターダムにのし上がり、その後も日本の芸能界を牽引する存在となった。

また、関根勤、小松政夫、大平シロー、島田紳助、松本竜介なども、番組をきっかけに知名度を上げ、後に活躍するようになった。

『オレたちひょうきん族』は、1989年10月に終了した。番組終了の理由は、ビートたけしが独立したことや、タモリが司会を務める「笑っていいとも!」の放送時間拡大などが挙げられている。

しかし、番組終了後も、その影響力は衰えることはなく、後の日本のお笑い番組に大きな影響を与えた。

オレたちひょうきん族の功績

『オレたちひょうきん族』は、日本のお笑い番組の歴史に大きな功績を残した。

コント番組の可能性を広げた
当時の若者文化を反映した、斬新で挑戦的な内容を取り入れた
後の日本芸能界を代表するタレントを輩出した
これらの功績により、『オレたちひょうきん族』は、日本のお笑い史に欠かせない番組として、今もなお語り継がれている。